こんにちは、初めまして。波乱万丈、眼科医のヤッシーです。
私の自己紹介をさせて頂きます。
目次
出生
地方の田舎に生まれました。
自然の多い街中で、朝から暗くなるまで遊び回っていました。
うちの年長の長男が、すでに本を音読できるのに対して、私は「ひ・し」「き・ち」がまともに言えない子供でした。
ちょっと発達に問題があったのかもしれません。
地方の田舎だとスクリーニングシステムもなおざりだったのでしょう。
自然の中で遊び回るのが好きでした。
小学校
地元の公立小学校に入り、よく遊びました。
4年生からは、バスケットボール部に入って、昼休憩も、放課後もバスケットボールに明け暮れました。
5年生くらいのときは、塾に行かされて、受験勉強させられました。
でもバスケットをしていた時間の方が長かったです。
県ナンバーワンガードなどともてはやされ、調子のっていました。(今思えば人口が少な過ぎるところなので、全国的には、全く話にならないレベルでしたのに)
中学校
地元の大学の付属中学校に、入試で合格できてしまいました。
完全に親の言いなりです。
塾は家の近くの公文へ行き始めました。
部活は、バスケットと駅伝で、毎日ヘトヘトになっていましたが、笑いの多い、楽しい生活でした。
いたずらも良くしました。
掃除時間にキャッチボールをしていて、よく化学の先生に怒られました。
この時代が一番楽しかったですね。
高校
地元の県立高校に入試で入りました。
部活は、またバスケットで、死ぬほど走りました。
同時に、評判のある個人塾に行きました。
最近は、中高一貫という学校あるようで、(昔からありますかね)。
受験が少なくて、いいなぁと思います。
高校生の間は
バスケットボールでは、飯は食えない。
勉強の方が、将来飯を食える可能性が高い。
そんな心境をさまよっていました。
インターハイには行けず、部活は終了。
バスケットでは、完全に食ってはいけない。
道を間違えた・・・
そこから、猛勉強を始めました。
その頃、エリックシーガル著のドクダーズという小説を読み、感化されて、医者になろうと思っていたのです。
主人公の幼少期から、大人になるまでを描いた、ロングラブストーリーです。
中二病を卒業していなかったヤッシーは、ドクターってカッコイイんだなと。
病院に何日も寝泊まりして、怪我の患者さんを縫い続けたり、治療し続けて気づいたら通帳にお金が貯まり、ジャガーに乗れるという、ぶっ飛び具合に、惹かれてしまったのです。
昔の本ですが、まだ売ってあります↓
ところが、ここらあたりで、狂いが生じ始めました。
・父のパチンコ三昧による多額の借金が判明
・それに嫌気のさした母の不倫
家庭内で両親は、仮面夫婦の状態となってしまいました。
信じていた親に見放されるというのは、思春期の心に大変大きな、決して戻すことのできないクサビを打ち込みます。
何とも言えない、寂しさ、なんですよね。
親からは、お金はないのだから、現役で大学受からなければ、働きなさい。
浪人はさせないと、脅されていました。
死ぬほど冷たい家庭から逃げるために、
死ぬほど勉強した結果、遠く離れた地方国立大学医学部へ現役で入れました。
大学
奨学金を駆使して、親からも多少援助してもらいなんとか、6年間で卒業できました。
両親の裏切りによって、じわじわと、人間不信という厄介な病気が出てしましたが、なんとかストレートでいきました。
克服には長い時間を要しました。
初期研修医
小説ドクターズに憧れて、24時間救急を受け入れている病院へ飛び込みました。
夜はほとんど眠れず、新米にはつらい日々でした。
ジャガーが買えるようになるなんてもちろん、あるはずもなく、ただただ消耗していました。
10年前のある日、当直のとき、何故か、ピッチで呼ばれず。
朝、救急外来に患者さんがストレッチャーで横たわっていました。
外から来ている当直の先生が、診察して入院と言って帰ってしまったそうです。
「ああ、そうか」、とヤッシーも気を回せばよかったのですが、もう終了しているのだなと、自分の仕事へ向かいました。
するとそれが院内で大問題となり、こっぴどく叱られてしました。
振られた入院先の科の先生が、これは入院適応でもなく、勝手に研修医が放置したと騒がれたのです。
救急の日々で、へとへとになっていたヤッシーは、この一件でノックアウトされました。
挫折を味わいました。
進路変更です。
後期研修医(レジデント)
本当に自分が興味あることは、よく考えた結果、眼科の道を選択することになりました。
大学病院で5年間レジデントとして修行の日々を送りました。
レジデントというのは、病院に住むもの、という意味です。
眼科というと、身近なところだと、コンタクトや眼鏡のイメージだと思います。
大学病院は主に、網膜剥離や緑内障で失明の危機の患者さんがたくさん来られます。
特に1年目は、下っ端として、大量の事務作業、手術助手という、いわゆる雑用係でした。
外来もまだできませんので、雑用しながら、上司に教えを乞うのです。
ほぼ毎日、夜中まで、緊急オペで、家には寝るために帰るという生活が続きました。
日曜日も6時間、手術助手したのを、覚えています。
時間外は月100時間を軽く超えました。
マク〇ナルドで上司から長時間説教を受けたこともあります。
それでも、止めようとは思いませんでした。
眼科手術が面白かったのだと思います。
失明寸前の患者さんを、手術して、見えるを守る。
とてもやりがいのある、素晴らしい仕事だと思ってやっていました。
絶望と地獄の修行期間を経て、自立していいよと、許可を頂きました。
眼科サージャンの道を邁進中
現在は、白内障はもちろん、多疾患の手術を、地域基幹病院で行っています。
手術は専用の顕微鏡を使い、最小50μmという小さな組織を剥いだり移植したりする、大変精密な手術です。
人生山あり谷あり、グランセゾンで和モダンな家を建てると決意
↓こちらの記事で、一条工務店で家を建てるようになった経緯をまとめています。
一条工務店トラブル
新たな生活を夢見ていましたが、着手承諾後に、事件が起こりました。その模様はこちら↓です。
続編もあります↓
一条工務店との和解
一条工務店が完璧なリカバリーショットを披露し、和解しました。
その模様はこちらです↓
一条工務店への信頼を取り戻し、また新たな明日に向かって、再出発しました。
あとは、グランセゾンが完成するのを待つだけとなりました。
今後も、グランセゾンの建築レポートと、日々の徒然日記を書いていきたいと思います。
宜しくお願い致します。
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